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20180910_音楽の語彙の話

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中村紀洋といえば、2000本安打・400本塁打といった輝かしい記録を持ち、大リーグでもプレイの経験がある名打者だ。そんな彼が2ヶ月前にスタートしたYouTubeのチャンネルは、彼の打撃理論を小学生や中学生にわかりやすく教えるというもので、彼の指導がひとたび入ると、小学生や中学生のバッティングが劇的に改善されているのが素人目に見てもよく分かる。元プロ野球選手が自身の打撃理論をYouTubeにアップするというのは目新しく、また現役のプロ野球選手が中村紀洋の動画を見たことで打撃が好調になったという話もあるなど*1、最近注目を集めているチャンネルの一つになっている。

そんな中村紀洋の動画を見てみると、彼の打撃理論や生徒の課題について述べる際の語彙が、極めて分かりやすいものであることがよく分かる。さらに言えば、彼が使う語彙は「実践可能な語彙」なのである。「指を離さない」「雑巾を絞るときのように手を絞る」「ボールを投げるように振る」「足の裏を見せる」。「天才」と称されるようなかつての名打者が、自身の技術をその感覚の中に閉じ込めるのではなく、小学生でも実践可能な形で語彙として解放する。生徒は、もちろん運動神経の優れた子たちでありセンスもあるのだろうが、見事に指導を実践し、劇的にフォームを改善させる。中村紀洋のこのチャンネルのみをもってして、中村紀洋を「相対的に際立って優れた野球の指導者」と評価するのが正しいとは必ずしも言えないのかもしれないが、少なくとも「優秀な指導者」なのではないかという予感はプンプンしている。野球素人の僕でもこの動画を見続けていれば、金足農業の吉田投手の150kmのストレートが打てるようになるんじゃないかとすら思えてくる*2



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さて、やっと音楽の話題。


音楽を語るとき、特に楽器の演奏について語るとき、そこには2種類の語彙があるのではないかとここ何年か前からボンヤリと思っている。


音楽をする人が音楽について、また楽器の演奏について語るとき、一般に現れる語彙は、「豊かな音」だったり「伸びやかな音」だったり「暖かい音」だったりする。「あの奏者が吹くクラリネットのソロは『豊かな音がして』素晴らしい」「金管のファンファーレは『伸びやかな』良い演奏だった」「コラールの『暖かい音』に心が洗われた」。少なくともクラシック音楽の世界ではこのような語彙が出てくる。吹奏楽でも出てくる。合唱でも出てくるのではないかと思う。ジャズでも多分出てくるのではないかと思う。さすがにヒップホップでは「マジでドープ」とかなんだと思う。
こうした語彙はなんだかpoeticで、文学的なのではないかと感じるところがある。本当のところは文学的ではないのかもしれないが、少なくとも僕は「豊かな音」だったり「暖かい音」という語彙は文学的だと思っていて、僕はこのような語彙を「音楽における文学的な語彙」と勝手に命名している。

だが、そもそも。「豊かな音」とは一体、何なのか。「豊かな音」とは一体、どのようにして出すのか。さらに言えば、「豊かな音で演奏してください」と言ったとき、まだ楽器に不慣れな人はそれを実践できるのか。




物事というのは何でもそうだが、楽器というものも例に漏れず人に教えるのが難しいもので、特に管楽器というものは、外部からは中の様子を伺い知れない口を使って吹くものだから、その難しさたるやという話になる。だから、苦し紛れに「豊かな音で」とか「暖かい息で」とか言ってしまうのだが、まだまだ経験が浅く思い通りの演奏が出来るほど技術が自らの中に潜在化されていない人にとって、「『豊かな音』で吹きましょう」「『暖かい息』で吹きましょう」と言われても、実際に「豊かな音」をどうやって吹いて良いかなんて、なかなか分からず、なかなか実践できない。そもそも「『暖かい息』で吹きましょう」なんてことを言われても、人間の口から発せられる息は暖かいのだから、冷静に考えて意味不明なのだ。


そこで、2種類目の語彙が出てくる。メカニズムの次元、ステップの次元に落とし込んだ言葉が必要なのではないかと思っていて、僕はそれを「音楽における工学的な語彙」と勝手に呼んでいる。例えば「豊かな音」で吹くことを考えたとき、「息を遠いポイントまで、かつ量的にたっぷりと吹く」「舌は強くつきすぎない」という表現にする(おそらくこの2つの語彙であれば、トランペットについて言えば、7割ほどの確率で「豊かな音」に近づくのではないか、と僕は思っている。)。演奏のメカニズムとして一つ一つの要素に分解し、身体的な操作を可能たらしめるような、実践を可能なものとするような語彙にする。そうしたとき、演奏に不慣れな人が、ようやく「豊かな音」を実践できる可能性が上がってくるのではないか。


とはいえ、「音楽における文学的な語彙」を全て解体して「工学的な語彙」にすべきだと言っているわけではなく、それは並立されて良いのだと思う。音楽を語る上での語彙が「工学的な語彙」だけになったら、それは芸術としての崩壊を招く。ただでさえ眠たい音楽の授業で「先ほどの演奏は息を遠いポイントまで量的にたっぷりと吹いていて、かつ舌は強くつきすぎない良い演奏でしたね」などと音楽の先生が語りだしたら、音楽なんてちっとも興味のないわんぱくな子どもたちはきっと容易に夢の世界に誘われてしまう。鑑賞は鑑賞で、poeticな語彙を使えば良いし、さらに言えば技術的な改善を考えるときも「文学的な語彙」のままで検討した方が良い場面だってある。大事なのは、使い分け方と使う場面なのだ。



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…というところまで語っておいて、じゃあお前はその「工学的な語彙」というものを完璧に持ち合わせていて、まるで中村紀洋のように、劇的な効果をもたらすような指導が出来るのか、と問われると、スミマセンデシタとなる。そもそも、そこまで技術が完璧に言語化できていれば僕は簡単にプロになれるわけで、また実際に5年ほど前に初心者の人に楽器を教えていたときに、適切に語彙を運用できていた訳ではなかったと思う。今ふとその時のことを振り返って、また今の自分が音楽に触れる中で、ようやっと100のうち1が見えるようになってきた、そんなところだ(謙遜ではなく本当にそうだ)。100のうち20、30が分かるようになるまで、果たして一体いつまでかかるのやら…。

youtu.be

*1:https://www.nikkansports.com/baseball/news/201807140000337.html 阪神ファンとしては早く中村紀洋をコーチに招聘して今のコーチをクビにしてほしい

*2:それはさすがに無理です。